「自分」というものが分からなくなる、通称【自分迷子】(私が勝手に言っているだけだけど)
そもそも、何で自分が分からない、という状況になってしまうのか?
私は、自分の【理想のペルソナの浸食】だと思っている。
ペルソナ(英: persona)とは、カール・グスタフ・ユングの概念。ペルソナという言葉は、元来、古典劇において役者が用いた仮面のことであるが、ユングは人間の外的側面をペルソナと呼んだ。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ペルソナという言葉自体、様々なメディアで取り上げられるので、その都度意味も微妙に変わってきますが、ここで言うのは上記の「外的側面」というものです。
何だか小難しいけど、要は「外に見せる顔」だと思います。
これは何も特別な事ではなく、誰でも多かれ少なかれ、役割を演じ分けて生きています。
ひとりの時、家族の前の時、学校や会社の人たちと一緒の時、全部の態度が同じならそれはそれで問題だもの。笑
みんな、その時その時で相応しいと思っている顔で接している。という事だと思います。
理想のペルソナを持っていた
みんな各々「いい子」の基準があると思います。優しい子、素直な子、明るい子、従順な子、面白い子、冷静な子、賢い子などなど。
何を「良い」と捉えるかはその人次第です。十人十色。
私が思う「いい子」とは、誰とでも仲良くできて、あまり人の悪口を言わない、良く笑って、聞き分けが良い、我慢強い、大人びた子です。優等生的な。
なんだかやけに具体的。そう、これは子供の時の、お姉ちゃんの私です。
私は二人姉妹で、妹がいます。大人の今でこそしっかり者のいい妹ですが、これが子供の時はわがまま放題の困ったやつでした。(大体の下の子はそうらしいですが)
親は上の子にまでわがままされたら堪らないので、「いい子でいようね」などと言うでしょう。
恐らく最初はそんな、親に面倒をかけない「いい子」でいようとしたんじゃないかな。
もちろん子供ですので、上記のような完璧なクオリティではなかったでしょうけど。
この「いい子」というのが、いわゆるペルソナという奴だと私は思っています。「お姉ちゃんの仮面」ですね。それだけなら特に問題はなかったのですが……。
今回は、私がペルソナに浸食される様子を思い出してみます。参考になれば幸いです。
普通ではない感覚をカバーするために
私は別の記事でHSS型HSPである、と書きました。
子供の頃、私は微妙に周囲から浮いていると感じていました。というか、直接言われていました。「変な奴だ」と。笑
今にして思えば、みんなの意見や空気に反することも平気で言っていたので、そこら辺を「変」だと言われたのかも。笑
自分が納得できないものは、「是」とは言わなかったのです。
これに対して親は「変わっているとは誉め言葉だ」と言っていました。この言葉には感謝しています。おかげで「変わっている」という言葉に傷つくことはありませんでした。(相手がどんな感情で言っていても)
しかし、気持ち的には大丈夫でも、実際に世間で浮いてしまうと弊害があるのですよね。からかわれたり、軽い仲間外れにあったり、何となく集中的に言葉を浴びたり。
これが嫌で、なんとか「普通」にしようとしました。でも無理でした。しかし私の場合、醸し出される「ちょっと浮いてる」感はぬぐい切れませんでした。笑
そこで「浮いている感」を、「いい子」でカバーしようとしたのです。いい子は大抵好かれます。好かれていれば、ちょっとした「変わっているところ」は愛嬌と受け取られるのです。
すると、人間関係のトラブルに巻き込まれることが少ない。これが最大の利点でした。
恐らく、最初は親に褒められたかったから。
次に、周囲から浮かないようにするために。
そして誰にでも好かれるように。
しかし本当は、誰にでも好かれることなど不可能だとも思っていました。私は、自分で自分を否定していたのです。
私は矛盾していました。でも、それには気付かないのです。
私は歳をとるにつれ「いい子」を個人向けにカスタマイズするようになりました。
本質的なところは変えず、向かい合う相手の欲しいであろう態度、言葉、距離感を少しづつ調整していきました。
恐らく、これがやりすぎだったんだと思います。使い分ける仮面の度を過ぎてしまった。
そうして作り替えていくうちに段々と、いつしか私は「私」を忘れてしまいました。
作っていった「いい子」が私になったのです。それくらい自然に、無意識になりました。
「いい子」による弊害
こうなってしまっては、自分の本質がなんなのか思い出せません。
思考、行動、感情全てが、「正しい」か「間違っている」かで判断します。何に対して正しいか?
「いい子」に対してです。
そんなこんなで社会人になった私は、少しずつ狂っていきました。学生生活は比較的順調に過ごしてきましたが、新しく環境が大きく変わったことにより、HSPである特徴が押し出されてしまったのです。
忙しい部署に配属になり、それなのに仕事が遅くて、理解に時間がかかって、追いつかなくて叱られ、早くやれば失敗し、謝罪して苦しくて、お客様の前で落ち込むなと言われ、笑顔を作れば反省してないなどと言われる。そして振出しに戻る。
私は学生時代は「いい子」であるため、困らない程度に物事をこなせていました。ある程度、自分は頑張りさえすれば出来ると思っていたんですね。とんだ思い上がり。
ところが、それが崩壊しました。何でも出来るどころか、社会人になった途端、何もできない。
私は「いい子」ではなくなりました。自己肯定感は地に落ちました。
こんなに合わない仕事でしたが、辞めることも出来なかったんです。すぐに辞めることが「正解」ではないと判断していたので。
石の上にも三年って言うしね。
しかしそうこうしている内に、私は段々感情が鈍っていきました。怒ってもいい状況で怒りが沸いてこない、笑っているのに何が可笑しいのか分からない。
今、何の感情が正解か、分からない。
完全に迷子になってしまいました。
自分迷子になった際の、道しるべ
こんな感じで、私は迷子になっちゃったんですん。
自分で作った仮面を本当の自分だと思い込んで、その理想を演じてみたものの大失敗したってところですね。
困ったもんだ。
以上が、私が思う【自分迷子】であり、【ペルソナの浸食】です。
こうなってしまうと、迷子を脱却するのは、なかなか骨が折れると思います。
で、私が思うこの状況から抜け出す、最も簡単な方法は、子供に帰ることです。
子供って自由です。何が好きで嫌いか、何がしたくて、したくなくか。
全て自分で分かっています。わがままです。
でもそれでいい。だって、それが自分ですもん。
判断基準は正解か不正解か、じゃない。好きか嫌いかだ。
あなたはどんな子供だった? 何が好きで何が嫌いだった?
その嫌いだったこと、義務感とか責任感で、やったりしていない?
よく、思い出してみて下さい。
そして、思い出したなら好きだったこと、思い切りやってみて。
もうあの頃みたいに夢中にはなれないかもしれないけれど、でも、子供の感覚を取り戻すきっかけにはなるんじゃないかな。
これができれば、きっと迷子はおうちを見つけることが出来ますよ。
自分というおうちは、暖かで安心できる場所ですよ。きっとね。
それでは、ごきげんよう。