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タロット「隠者」から見る、幸せのかたち

自分をさがして

ごきげんよう、都花です。

私は占いが好きで、それにまつわる本を色々と読んでいます。
占いを信じている、というより、そのルールとか成り立ちとか、想像力とか象徴的な考えとか、そういったことに興味があります。

普通考えないよね、星空を見て運勢とか。誰が思いついたんだろうね。

そんな感じで、タロットの本を読もうとした際、サリー・ニコルズ著『ユングとタロットの元型の旅』という百科事典の如き本を手に取りました。
すんごいぶ厚かった。


ユング心理学に絡めてカード1枚1枚を解説している、非常に興味深く、難しくも面白い本でした。
その中で、私は9番目の『隠者』が一番心に残りまして。

簡単に言うと、自分は何を求めているのか? という事を外ではなく自分の中に探すという意味です。

【自分迷子】であった自分にとても刺さった内容でした。

タロットカードは人生の縮図ストーリー

そも、タロットカードは元々は占い用カードではないんだそうです。
昔々の貴族のゲーム遊びの道具だったらしいですが、諸説あるようで。今で言うトランプみたいに遊んでいたという物から、絵画のように観賞用だったという物もあるみたいです。

で、この観賞用にもなり得る芸術的な絵柄のカードは、大アルカナと呼ばれていて22枚セットのやつです。タロットと言えばよく見かけるやつ。これは色々な物語の元型になっています。

この物語は、人間が成長していく様子を順に表していて、その成長の中で出会う、社会や規律や葛藤や決断なんかがストーリーとして読めるようになっているんです。よく考えられてんなー。

まず0番の愚者が、手ぶらで旅立つところから始まります。
そこから手あたり次第色々試してみたり、様々な規範となる存在に出会い勉強し、自分の力で選択し、そして初めての勝利を手にします。

その後も社会や理性を学んだり、自分自身を見つめたり、自分にはどうしようもない現実にぶち当たったり、自分なりの正しい判断をしたり、しかしそれによってドツボにハマり、自分の限界を迎えて新たなる価値観と出会い、古い価値観と新しい価値観の間でバランスをとって調和します。

が、甘い誘惑にかられて過ちを犯し、精神の大破壊が起きて何にもなくなり、しかし呆然としている中にも小さな希望を見つけ、その希望を目指して暗くて不安な道を進み、そこにやっと安心できる場所を獲得する。そして今までの人生を振り返って、そして世界と調和・融合しました。 END

みたいな。そんな話です。
その中で、私の推しである『隠者』は、自分自身を見つめたり、の段階です。カードのナンバーは9番になります。

『隠者』の意味 過去を照らす隠遁の老賢者

タロット「隠者」

この『隠者』というカードは絵柄的にとっても地味です。笑
杖を持ちフードを被った老人が、左方向にランタンをかざしている。周りには暗くてなにもない。
でも、この絵柄が『隠者』の全てです。

老人というのは象徴的に言えば、人生経験豊富な大先輩です。
(昨今そうじゃない人も目立ちますけどね)
書物にはないような、自身で体験してきた生きた知恵がそこにはあります。
この老人は、社会・世俗を離れ何にもない暗闇の中で一人、己を見つめている隠遁者であり、精神修行をしている老賢者なのです。

また、彼が持つランタンにある光り輝くお星さまは、左側を照らしています。
このというのは象徴的に、不浄とか不吉とか、暗闇とか散々なことしかないんだけど、過去も表します。

そしてこのフード。もう周りの事なんて気にしません。と言わんばかりの粗末な服で、自分の体を覆っています。

総括すると「十分な経験と知恵を蓄えた者が、社会や未来など外側ではなく、自分の過去や内側にある、真理(己の価値)を探求する」ということになります。

現代社会での私たちと『隠者』

さて、『隠者』の世界観では「真理は外より内側を探せ」ということでした。

でも、現代社会で生きる私たちは「外」に重点を置くように教育されてきますよね。
「外」と合わせるようにって言われてきてるんです。

私も「外」に合わせる努力をしてきた方です。
しかし、私はどうにも「外」の価値観と合わせきれなくて、結局浮いちゃってましたけど。笑

ただですね、意見まで「外」に合わせて、なあなあに済ませていると、どんどん暗くなってしまうのです。みんなから浮きたくなくて、孤立を恐れて。

今日の私たちが孤独の群衆であるという事は、陳腐な決まり文句となってしまった。私たちは砂を噛むような孤立を覆い隠すため、見せかけだけ他人と一緒にいるふりをするが、それは人間関係とは言えないものだ。
(省略)
「ラッシュアワー」という湾曲な呼び方で表現される時間帯に満員電車に乗っている時、気付かないだろうか。
自分が無表情なゾンビの大群の一部になっていることに。

サリー・ニコルズ著『ユングとタロットの元型の旅』一部抜粋

こうなっちゃいます。ゾンビの一員ですよ。

で、なあなあにしていると、どんどんと周りが暗くなっていって、自分の足元が見えなくなっていきます。
自分の足元、根底が分からなくなる。アイデンティティというやつですね。

道を見失ってしまった魂は互いに問いかける。
「私は誰なの?」
これほどに内なる核を見失って、他人との関係の中にのみ存在するようになってしまった。
私たちの恐れや不安の中で最も強いのは、「何者でもない者にされる」ことであり、自分自身のアイデンティティを人間の集合体の中から解きほぐすのは至難の業である。

サリー・ニコルズ著『ユングとタロットの元型の旅』引用

いくら社会性を学んだとはいえ、意志や選択まで、倣ってはダメです。
暗くなってしまい、自分の足元、自らが辿ってきた道が見えなくなってしまう。
しかしそうした時に現れるのが、
我らが隠者先生です。

暗闇に浮かぶランタン

『隠者』のいる暗闇は、まさしくこの暗くなってしまった、我々の内側です。
そして問うでしょう「そこに誰かいるのか、お前は誰だ」と。

答えられますか? 自分が何者であるか。

すると、『隠者』はランタンを差し出し、暗闇を照らしてくれるでしょう。
私たちの左側、過去に辿って来た道を。
精神的な暗闇の中に浮かぶのは、いつだって自分自身なのです。

私たちは、人生の中でどんな体験をしようとも、最後には自分自身に立ち返らなければならない。

『隠者』はそれを教えてくれます。

タロット「隠者」から見る、幸せのかたち

「幸せ」という我々が欲してやまないものにも、一般的な幸せという形が存在します。

それっていうのはとどのつまり、社会的な地位やら財やら作って、自分と同等のあるいはそれ以上にイケてるパートナーと結婚して、家族を作って、家も建てて…みたいなことを目指すのです。

そんでもって、それから外れている人には、奇異の目を向けられることでしょう。

近所のおばさん
近所のおばさん

あの子はいい歳してあんなことやって…。

近所のおじさん
近所のおじさん

早く結婚して子供を産めばいいのに…。

でも、

でも、そんなことはどうでもいいんですよ。

そのレールに乗ったところで、幸せになれる保障なんてどこにもないんです。
その世間の人たちが保証してくれることもまた、ないんです。

世間の評価なんて関係ない。今まで学んだことを総動員して、自分の価値でもって、自分が幸せだと思う人生を作るんです。
自分で決めたことを、いかにやり抜けるか。
嘘偽りのない真理こと、「私の中のランタン」を追求できるか。

それが「ほんとうのしあわせ」なんじゃないかな。

(ちなみに、このサイト「或るランタンのゆくえ」の名前は、実はここからきています。笑)

そんなことを、不肖わたくしは『隠者』で学びました。

(現在、私の読んだ百科事典の如き本「ユングとタロット元型の旅」は手に入れるのが難しいので、興味を持たれた方は図書館に行かれるか、鏡リュウジさんの本が分かりやすくてお勧めです。)

「お前は誰だ?」
隠者はいつまでも、私たちの答えを待っている。

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